ニコルソン・ベイカー『中二階』感想|にやにやしながら、日常を面白がる小説

『中二階』ニコルソン・ベイカー

誰かの日記やブログを読んだり、Twitterでいろんな人のツイートを読み漁ったりして、他人の思考を盗み見るのは楽しいものです。

電車で向かいの席に座っている、難しい顔をした髭面のおじさんの頭の中を覗いてみれたら、面白いだろうなあと思いませんか。

見た目はめちゃくちゃ怖くても、頭の中を覗いたら

あー鼻くそほじりたいなあ。でも電車の中だから我慢しよ。

とか、意外とアホみたいなことを考えているかもしれません。

そんな「アホみたいなどうでもいいこと」をひたすら書き綴ることで出来上がってしまった小説が、ニコルソン・ベイカーによる小説『中二階』です。

会社のトイレで同僚や上司に出くわした時の気まずさを紛らわす独特なアイデア、

ホチキスで勢いよく紙を綴じたと思ったら芯がなかった時の、あの空振りの感触の虚しさ

主人公の頭からダダ漏れする思考の波に呑まれながら、読んでいてニヤッとさせられるポイントが盛り沢山な小説です。

『中二階』のあらすじ

エスカレーター

ストーリーは単純明快。
30歳の男性会社員が、オフィスビルのエスカレーターに乗って、降りるだけの話です。

時間にして数十秒。そのわずかな時間の間に、主人公の頭の中に浮かんでは消えるさまざまな思考や記憶が語られるのがこの小説の大部分です。

その日に起こった大きな事件といえば、「靴ひもが切れてしまった」ということぐらい。

主人公は昼休みに新しい靴ひもを買いに行き、昼食を食べ、再びオフィスに戻るためにエスカレーターに乗るわけです。

エスカレーターに乗りながら頭に思い浮かぶのは、とりとめもない雑多なことばかり。

  • 昼休みの始まりは、「昼食前にトイレに入った時点」とみなすべきか、それとも「トイレから出てきたとき」か
  • つい昨日、右の靴ひもが切れて、今日立て続けに左のひもが切れたのはどういうことだろう。
  • トイレの個室にこもっているときに、会社の幹部と大切な客が入ってきて、その会話の最中に鋭い放屁音を響かせてしまった爆笑エピソード

1つの疑問からまた別の疑問が頭に浮かび、思考は脱線に次ぐ脱線を繰り返し、本文を凌駕するほどのおびただしい注釈がページを埋め尽くします。

1項目の注釈だけで見開き4ページくらい使ってしまう、遊び心満載なこの小説に、「大冒険」や「一大ドラマ」は起こりません。

「極小文学」などとも評されるこの小説は、日常の中の本当に身近で些細なことを実に細かく、ナノレベルで描き出すのです。

読み進めながらそのユニークな視点に慣れるにつれて、じわじわと面白さが感じられるようになっていきます。

日常を楽しむ才能に長けた作家

この作品から感じられるのは、「日常を面白がる視点」です。

本作の訳者である岸本佐知子さんは、あとがきでこう書いています。

ニコルソン・ベイカーという人は、自分を取り巻く世界に驚いたり感動したりする能力を、子供のころのままずっと保ち続けている作家である。

白水社『中二階』(1994年)の訳者あとがきより

まさにその通りで、物事に対する着眼点が子供の頃とちっとも変わっていない印象を受けます。

「子供の頃は夢中になって考えていたこと」に、大人になっても夢中になり続けることのできる稀有な人なのです。

エスカレーターでの真剣な運だめしゲーム

例えば、主人公はエスカレーターに乗った時、よく運試しをするのだといいます。

それは、「一番上に着くまでのあいだに上からも下からも人が乗ってこなければ私の勝ち」というゲームです。

頂上に着くまでに誰かが乗ってきたら、ただちに電流がショートして私は感電死することになっていて、ゴールが近づくにつれ、それがだんだん本当のことのように思えてくる。

主人公は、「神経がへとへとになるくらい緊張」しながら、本気でこのゲームに取り組むらしいということが書かれています。もう30歳なのに…お茶目な大人だ。

命懸けの横断歩道

私も子供の頃に「横断歩道で、白い線の上だけを歩かないと死んでしまう」っていうゲームをやってたなーって思い出しました。

子供の頃は横断歩道を渡るだけのことが、ドキドキするような大冒険だったんだなあと思います。

普通なら見過ごしてしまうミクロな光景の描写

ちりとり

さらに、秀逸だなーと思う描写の1つがこちら。主人公のガールフレンドについての描写です。

彼女によれば、掃きそうじで一番好きなのは、塵をちりとりに掃き込むときで、ちりとりを後ろにずらすと残る、定規で引いたような灰色の塵の線、それは決して完全には無くならないのだけれど、その線をどんどん細くしていって最後には見えないほど細くする、それが至福の時なのだそうだ。

すごくどうでもいいんだけど、めちゃくちゃよくわかる。

日常生活で感じる小さな小さな物事に対する感情を、ここまで的確に言葉にしてくれる文章はなかなかお目にかかれません。

どうでもいいといえば全くもってどうでもいいんだけど、この感覚を共有できる嬉しさみたいなものもあって、なんとなくニヤッとしてしまう。

こういう類の文章は人によって好き嫌いがあると思いますが、どうか、「そんなものを読んでなんの得になるの?」なんて思わないでほしい。

Twitterで日々流れてくる誰かのつぶやきを見て「これを読んでなんの得になるのか?」なんていちいち思わないのと同じことです。

人生の大部分は「なんでもない日常」が占めています。

「合理性」や「価値のある経験」ばかりを重要視しがちな世の中ですが、「わりとどうでもいいこと」を楽しめる人は、きっと毎日を丁寧に生きることができる人です。

忘れがちだけど大事な視点を思い出させてくれる小説だと思います。

訳者、岸本佐知子さんとの相性がぴったり

本作は、『ねにもつタイプ』などのエッセイで有名な岸本佐知子さんによって翻訳されています。

読んだことがある人はわかると思いますが、岸本さんのエッセイもまた独特な面白さがあるんですよね。

ニコルソン・ベイカーと着眼点や笑いの質が似ているような気がします。

この『中二階』に影響されたのか、それとも、そもそも本質的に2人は似通っている部分があって相性ぴったりだったのか。

なんにせよ「岸本エッセイ」を楽しめる人であれば、『中二階』も楽しめる確率が高いだろう、ということです(逆もまた然り)。

未読の方は是非、不思議な笑いの世界に包まれてみてください。