「イタズラっ子たちの愉快な悪だくみ」的ストーリーだ!面白そうだ!と期待して、小学生のとき親にせがんで買ってもらったこの本。
いや、わかってるよ?お母さん。本当は『赤毛のアン』とか『十五少年漂流記』とかそういう名作を読んだ方がいいって言うんでしょ?わかってる。そんな親の気持ちは、子供ながらに理解してる。
でも、なぜかその時は子供心が爆発してて、どうしても読みたくて買ってもらった。結果的にそれは幸運なことだった。
当時は知らなかったけどこの本、1966年に出版されてから今も読まれ続けているロングセラー本なんです。
著者は『おしいれのぼうけん』で有名な古田足日さん。
ぜひ、子供と一緒に大人も読んでほしい一冊です。
目次
あらすじ
テルちゃんがプロ野球チームに入ったらしいぜ!年収1000万だってよー!
今年就職したわたしの姉さん、月給たったの2万5千円よ!
少しも勉強しなかったテルちゃんが大金を稼いで、勉強をがんばった人は安月給。
これってどういうことだー!というフラストレーションから、小学5年生の子供達は動き始めます。
「宿題ひきうけ株式会社」で大金を稼ぐぞ!
不純だけど健全な(?)動機から、宿題代行ビジネスを始めた子供たち。
いざ始めてみると、「そんな悪いことしたらダメだよ」と言って断る子もいれば、「忙しいから宿題よろしく」と言って、お金を渡して依頼してくる子もいる。
次第に子供たちは考え始めます。
宿題とか勉強って、どうしてやらなきゃいけないんだろう?
「日本がどこの国から石油を輸入しているか調べなさい」なんて宿題に意味があるのか?
そんなこと知らない大人はたくさんいるし、知らなくてもちゃんと生きていけている。
大学に行って「知らなくても生きていける知識」を蓄えた人が大きな会社に入って大金を稼ぐ。
貧乏な家の子は、そもそもお金がないから大学にも行けない。
ああ、資本主義社会の厳しさよ。
「宿題も勉強も必要なかった、昔の時代に生まれたかったなあ。」
「いやいや、昔の時代だって、厳しかったんだよ。戦国時代を見てごらん。」
そんな感じで、「イタズラっ子たちの愉快な悪だくみ」的ストーリーだと思って読み始めた物語が、予想を裏切って深い話になっていく。
タイトルに騙されて読み始めた子供たちは、戦々恐々として、途中でそっと本を閉じるのだ。(閉じないで)
正直に言って、私が小学校3,4年生くらいで初めて読んだ時は、面白かったけど内容をちゃんと理解できませんでした。ただ、「何か大事な深いことを言っている」ということだけは子供ながらに感じ取っていて、私の人生の心の片隅にはずっとこの本の物語がありました。
その後、中学、高校と歳をとるにつれて、数年おきに読み直して少しずつ腑に落ちるところが増えていき、いつのまにか「人生の相棒」のような本になっていました。
物語の面白さ
この物語の面白いところは、子供たちが大人たちの綺麗事じゃない厳しい現実社会を知っていくことで、「人はなんのために勉強するのか」という考えを深めていくところにあります。
まさに資本主義の考えに則って、会社を立ち上げてお金を稼ごうとしたり、「たくさんお客を取ってきたら分け前を増やしてよ」と仲間に主張したりします。
登場する子供達の生活環境はさまざまで、塾に通って私立中学を受験する予定の子供もいれば、兄弟がたくさんいて貧乏なために新聞配達をしてお金を稼ぐ子供もいたり、共働きで放任主義な両親のもとで伸び伸びと暮らしている子もいます。
生まれた環境が異なる中でどうやって生き抜いていくかを、子供たちはそれぞれに考えていきます。
1966年出版の本なので、昔は成績が相対評価で付けられていたことを知らないと理解できない部分があったり、子供が一生懸命ソロバンを習っているのが奇妙に思えたりする部分はあるかもしれません。
ただ、機械化が進むことで人間の働き口が減っていることなど、現在に通じる部分もたくさん語られています。
当時はソロバンができることが就職においては重要だったのですが、電子計算機が導入されることで仕事を失う人が大勢出てきます。現在も、人工知能技術の発達や工場の全自動化などで人間の仕事がどんどん無くなっていくことが予想されています。
昔も今も、根本的な問題は変わらずに繰り返されていることがあるのだなーと実感させられます。
なんでも「競争だ、合理化だ」の今の世の中に対して、昔の方が幸せだったんじゃないの?と言い出す子供も出てきます。
そこで「じゃあ昔はどうだったんだろう?」と比較しながら、子供達は真に価値のある「勉強」に楽しそうに取り組んでいくのです。
必要なのは「どうやって生きていくか」戦略を考える授業
この物語は、「人間は生まれた時から不平等だ」という事実を突きつけてきます。私たちは生まれてくる場所も時代も選べません。
知能や運動能力は、ある程度は遺伝が関係するし、金持ちの家に生まれる子もいれば貧乏の家に生まれる子もいます。
物語は終盤、「試験をなくそう」「宿題をなくそう」というメッセージに大きく焦点が当てられますが、試験や宿題をなくすだけで解決するような、そんなに簡単な問題でもないように思います。
必要なのは「どうやって生きていくか」、また、「そのためにはどんな勉強が必要か」を考える授業なのではないでしょうか。
生まれつき不平等な環境で、得意なことをどうやって伸ばしていくか。
自分の戦えるフィールドをどうやって見つけるか。
「選択肢がたくさんあるんだよ」と教えてあげること。
さらに「選択肢は自分で新しく作り出せるんだよ」と教えてあげることが大事なんだと思います。
宿題ひきうけ株式会社のビジネスは、やっていること自体は「悪いこと」なんですが、仕事をこなす子供たちは結構能力が高いんです。
近所を回って顧客をとる「セールスマン」係の子たちは、「宿題代行料金」をちょっと高めの20円から交渉し始めて、15円か10円で手を打つように仕向けます。
誰にも教わっていないのに、商売の基本をしっかり理解している!
悪いことをしたとはいえ、学校の先生や周りの大人たちがそういう有能な部分にも着目して褒めてあげていたら、子供は将来優秀なセールスマンになっていたかもしれません。
宿題代行はいけないことか?
宿題代行をしている大学生やら、会社やらって現実にあるみたいですね。
そういうサービスをメルカリなどで出品する人たちもいるみたいです。
これには文部科学省も動いていて、メルカリ、ヤフオク、ラクマ等での出品を禁止しています。
文部科学省ホームページ:「宿題代行」への対応について
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/syukudai/index.htm
個人的には、宿題代行によって「ズルをすればなんでもうまくいく」という考えが根付いてしまうのは、本人のためにならないんじゃないかなーと思ったりしています。
その場その場はうまくしのげるかもしれないけれど、周りの人からの信用を失うので、結果的に人生のどこかで失敗したときに孤独になってしまうのではないかと…。
堂々と「やらんわ!」って言って先生に怒られる方がまだマシな人間になりそうな気がします。「宿題をやらなくていい理由」を論理立てて説明して、大人を説得する能力を身につけたらいい。
でも逆に、こういう「代行サービスでなんとかなるような宿題」を出す世の中が変わっていったら良いのかなとも思います。
一夜漬けのテスト勉強だけでどうにかなる試験で生徒を評価するのをやめて、口頭試問とか、授業内のディスカッションでどんな意見が言えるか、を評価したらいいのではないかと。
授業で意見を言うためにはそれなりに家で勉強しないといけないし、脳みその中身を鍛えるのは代行サービスじゃどうにもなりませんから。
アメリカの大学とかはそんな感じの教育方法みたいです。
「勉強する目的」は早めに考えておくべき問題
小学生で初めて『宿題ひきうけ株式会社』を読んだ時、もっと「勉強することの意義について」深く考えておくべきだったなーと反省しています。
ここまでいろいろ偉そうに意見を書きましたけども、私は机に向かって勉強するのは結構得意というか好きな方で、試験勉強もそこまで嫌いじゃありませんでした。
人見知りで、自分の意見を人前でしゃべるのも苦手ですし(だからこうやって文章に書く方が好きなんですけれども)、もしも私の子供時代にそういうアメリカの大学みたいな教育方針だったら乗り切れただろうかと、想像するとブルブル震えます。
だから『宿題ひきうけ株式会社』の主人公たちのような、「本当に必要な勉強ってなんだろう」と考えることができて、自分の意見をしっかり言える人たちをとても尊敬しています。
就職活動をして会社員として働き始めて、学校で学んだ勉強がほとんど役に立たないことを実感する人は多いと思います。
一夜漬けの勉強でどうにかなってしまう試験や教育カリキュラムは、(私は嫌いじゃなかったけど、)やっぱり自分のためになっていなかったなーと感じます。
『宿題ひきうけ株式会社』を子供の頃から何度も読んできて、「学校の勉強がすべてじゃない」と表面上は理解していたけれども、それが「腹に落ちた」時にはもうすでに社会人。もっと早く気づけばよかった。
子供の頃に読んで理解できなかった部分を「これってどういうことなの?」と大人に聞いてみればよかったかもしれません。
これから読む人はぜひ、大人も子供もいろんな人と話し合ったりしながら考えてみてほしいなあと思います。
しかも、こんないかにも子供が飛びつきそうなタイトルでありながら実は、「どうして勉強をしなくちゃいけないんだろう?」ということを改めて考えさせてくれる、深ーい物語なのです。