みんな大好きタイムトラベル小説。
アメリカの有名なSF作家ロバート・A・ハインラインが書いた小説『夏への扉』は、主人公がまさにタイムトラベルを経験し、人生を変えていくストーリーです。
未来と過去を行き来して、自分の人生を変え、恋人を救い、幸福を手にする物語です。
しかしながらこの物語は、「タイムトラベルが可能になれば、人生何度でもやり直せて幸せになれるね!」というお話ではありません。
むしろ、
と思わせてくれる、読むとちょっと前向きになれる小説だと私は思っています。
目次
小説『夏への扉』あらすじ
主人公は仕事も恋人も失い、人生に絶望を感じて打ちひしがれる男、ダン。
相棒である猫のピートと共に、酒場でやさぐれているところから物語が始まります。
ふと、店の窓をぼんやり眺めていたダンの目が、とある広告サインの文字に引き寄せられます。
それは、「ミュチュアル生命 冷凍睡眠保険(コールドスリープ・アシュアランス)」という、保険会社の広告でした。
この悩みを、眠って忘れてしまえばどうだ?外人部隊に参加するよりは快適だし、自殺するよりいくらか清潔だ。
30年間冷凍睡眠して、30年後からあたらしい世界で人生をやり直そう。
そう決意したダンは、保険会社と契約を交わし、かくしてダンの人生再興物語が始まります。
そんなタイムトラベルの方法があったのか
冷凍睡眠で未来へ飛ぶことができる
ダンは冷凍睡眠という方法を使って、未来に飛ぶことを決意します。
個人的に私は「こんな方法があったのか!」と盲点を突かれたような気分でした。
自分が動いて時間を飛び越えるのではなく、自分だけを一時停止させるという発想が画期的!
「生きる時代を変えられる」というのは魅力的です。
例えば2021年現在、世界で新型コロナウイルスが蔓延してますが、もっと医療が進歩した時代まで冷凍睡眠でやり過ごすということもできそうです。難病を抱えている患者さんにとってもありがたい選択肢かもしれません。
ままならない現在を生きることを放棄して、未来へ飛ぶ。人生の1つの選択肢として、可能になる日が来るかもしれません。
実は多くの人がタイムトラベルを経験している?
ダンが冷凍睡眠をして30年後に目を覚ますと、最初に気づくのは「技術の進歩」です。
ダンは実はスティーブ・ジョブズばりの天才技術者で、ロボット工学者でもありました。主婦の代わりに掃除や給仕などの家事をこなせる、全自動式メイドロボットを発明する頭脳をもつ一流の技術者でした。
しかし、30年後の未来では、ダンが身につけた知識や技術はもはや当たり前で古いものとなり、自分が「時代遅れの技術者」となったことに気づきます。
これを読んで私はふと気づきました。
あ、これ私だ。
私も冷凍睡眠したことあるわ。
それは若かりし大学生の頃。
毎年2ヶ月もある長い長い夏休み。春休みも2ヶ月ありました。休み中は宿題はありません。時間はたっぷりあります。
週に2回のアルバイトをする以外はほとんど家にいました。ゲームをするか、漫画か小説を読むか、ケーブルテレビで映画を観るか。やりたくないことは一切やらず好きなことだけしていました。
そして月日は流れ、大学3年の冬。就職活動をしなさいと、どこからかお達しが来ました。
仕方がないので活動を始めます。会社を探して、エントリーシートを書き、面接に臨みます。
エントリーシートが聞いてきます。
「学生生活で、あなたが頑張ったことはなんですか?」
面接官が聞いてきます。
「あなたの成功・失敗体験について教えてください」
……大学生活で、私は何をしていた?
私がゲームをしたり漫画を読んでいる間に、周りの学生たちは部活に励んだり、サークルでいろんな活動をしたりして、人に語れる様々な経験をして成長していたわけですね。私はろくな経験を積まないまま、一歩も前に進まず停滞していました。
これって冷凍睡眠してたのと似たようなものじゃない?
体がしっかり歳を取っているぶん、冷凍睡眠よりもっとひどい。
「ああ、今まで俺は何をしていたんだろう」って経験のある人、それはいわゆる「精神的タイムトラベル」です。いま私が名付けました。
そう考えると、冷凍睡眠によるタイムトラベルは、ある意味「現実逃避」だとも言えます。
タイムトラベルしても、人生をやり直しているわけではない
大事なのは目の前の問題に向き合うこと
結局のところ、生きる時代が変わっても、困難なことは起こるし、つらい思いはするわけです。
問題を先延ばしにしたところで、何かしら別の問題に苦しめられることになるんだなと思います。
この物語で私が気に入っているのは、ダンがいざ冷凍睡眠をするぞと決めて、保険会社と契約を交わして、いよいよ明日だという直前になった時に冷静になって思い直すところです。
なぜ冷凍睡眠なんかに行こうというのだ?
冒険の精神からか?それとも、母親の胎内に逃げ込もうとする兵役不適者みたいに、自分自身から逃避しようとしているのか?
直前になってダンは冷凍睡眠を中止にすることを決め、自分の人生をぶち壊しにした友人と恋人に一矢報いようと行動していました。逃げるのではなく、目の前の問題に向き合うことに決めていたのです。
結果的にダンは、自分の意思とは関係なく強制的に冷凍睡眠させられてしまうのですが…。
その後、30年という年月に取り残されて孤独になった人生をなんとか軌道に乗せようと奮闘するダンの生き様には感服させられます。古い技術しか身につけていない時代遅れの技術者なんて誰も雇ってくれない逆境の中、低賃金の仕事をしながら、図書館に通い詰めて新しい知識を吸収しようと努めます。
30年前も、30年後も、ダンは決して目の前の問題から逃げようとしませんでした。常に前に進もうと努力していました。
タイムマシンで過去に戻ることの真実
しかし一方で、ダンは30年前に自分がやり逃がしてしまったことを後悔してもいて、過ぎ去った昔の夢を追いかけずにはいられなくなっていました。そして、この時代では不可能とされていた、タイムトラベルで過去に戻る方法を探します。
さて、ダンは過去に戻って人生をやり直すことができたのでしょうか?
その詳細は、実際に読んでもらった方が面白いので語りませんが、ただ1つ言えるのは、ダンは過去の自分の行動を直接書き換えたわけではない、ということ。
例えていうなら、
大学時代に家に引きこもってゲームばかりしてたことを後悔してる私がいるとしますね。
そして、タイムマシンが完成したとします。
じゃあ実際タイムマシンで大学生時代に戻って、もっといろいろな活動に積極的に参加して、人と交流して経験を積もうと励んだかというと、それはできないわけです。
なぜできないか?
答えは「私自身が消滅してしまうから」です。
そんなことをしたら、「自分の大学生時代を後悔する私」が存在しなくなってしまいます。すると、タイムトラベルしようとする私も存在しなくなり、したがって、「大学生活をやり直す私」も消滅します。
図にするとこんな感じ。
いわゆるタイムパラドックスというやつですね。
過去の自分を変えるということは、自分自身を否定する(=消す)ということです。
まあ、別次元の世界(パラレルワールド)の自分を変えることはできるっていう説がありますが(高野苺さんの漫画「orange」などはそのパターンですね)、難しいことは置いておきましょう。
小説を読むとわかりますが、ダンは過去の自分の行動を直接書き換えるのではなく、常に「現在」の中に生き、未来に向かって行動しようとしています。
未来は過去に勝る
この小説が示唆しているのは、「未来は過去よりも良くなりうる」ということであり、「未来は自ら切り開いていくものだ」ということです。
ダンはどの時代にいようと、常に目の前の現実に目を向けています。暖かくて輝かしい将来へ続く道を、いくつもの扉を開けて試しながら、探し求め続けるのです。
寒い冷たい夢の中でぼくはがたがた震えながら、幾重にも曲がりくねった暗い廊下を、出くわす扉という扉一つ残らず開いてみては、この扉こそ、いやこのつぎのこそ夏への扉、リッキイの待っているあの暖かい扉だと、ひたすら思いつづけていた。
目の前の困難に向き合い、対処し、より良い未来を作っていく。
過去を変えられない私たちにできるのは、現在と未来を変えていくことだけです。
かくいう私も、大学時代に熱中していた映画やら本やらについて、こうして文章を書き、誰かの役に立てばいいなあと思いながら過ごしています。あの日々を無駄にしないために。
タイムマシン技術で人生がイージーモードになるというお気楽ストーリーも確かに面白いです。ただ『夏への扉』は、生きている「いま」に向き合う骨太な主人公ががんばる物語であるからこそ、多くの人々に読まれる作品となったのではないでしょうか。
「夏への扉」書籍情報
旧版と新版の違い、旧訳版と新訳版の違い
旧訳版(福島正実/訳)
福島正美氏による旧訳版。
本記事はこちらで読んだ内容を元に執筆しています。旧訳とは言っても、個人的には読みやすい文章で、特に読んでいて不満はありませんでした。
旧訳版(福島正実/訳)の新版
同じく福島正美氏による旧訳の新版。
カバーが刷新されていて、かわいいイラストが描かれています。本屋さんによく並んでいるのはこのバージョンが多いです。
新訳版(小尾芙佐/訳)
小尾芙佐氏による新訳版。
こちらは単行本のみで、Kindle版もありません(2021年2月現在)。
Amazonレビューを読んだ限りでは、旧訳版で誤訳とされていた部分が新訳版では改善されていたり、より現代に馴染みやすい表現となっている様です。ただ、「旧訳版と新訳版どちらが良い」という意見は、好みによって様々なようです。
「猫SF」と言われてるけどどうなの?
猫好きが1番気になるのは実はこれかもしれないですね。
物語には、ピートという名前のオス猫が登場します。主人公ダンの最高の相棒として、ダンの孤独を癒やし、時に勇気づけてくれる存在でもあります。
結論から言うと、この物語はピートが大活躍するお話ではないですが、「ピートの存在がなければ主人公の人生はなかなかこうもうまくはいかなかったんじゃないか?」と思うほどの大事なキャラクターでもあります。
いずれにしても、著者の猫に対する愛情がひしひしと感じられて、とても心地の良い描かれ方をしています。本の最初のページに、著者ロバート・A・ハインライン自身が「世のすべての猫好きにこの本を捧げる」と書いています。
ときたま「ニャアウ!」と鳴いて主人公と会話するピートの愛らしいシーンは必見です。
猫好きならぜひ読んでみてください。
映画版も公開予定
主演、山﨑賢人。主題歌はなんとあのLiSAさんです。
映画公式HP
https://natsu-eno-tobira.com/
映画版は、1950年代のSF小説から古臭さを取り去って、爽やかな現代版の青春恋愛SFにリメイクされている感じがしますね。
2021年2月19日に公開予定でしたが、公開が延期になりました。
無事公開されることを期待して待ちましょう。
→2021年6月25日に公開日が決定となりました。公開日を楽しみに待ちましょう!
結局は現在の目の前の問題に向き合わないと、過去も未来も変えられない。
過去を変えることよりも、いま・現在と、未来を変えることに専念しよう。