小川哲『ユートロニカのこちら側』恐怖や痛みを伴わない監視社会を描いた新感覚ディストピア小説

ユートロニカのこちら側

第3回ハヤカワSFコンテスト“大賞”受賞作である本作『ユートロニカのこちら側』は、一言でいうと「新感覚ディストピアSF小説」です。

描かれるのは、新しいタイプの「監視社会」。
一般的に「監視社会」って言うと、なんとなくいやーなイメージが湧きますよね。

街中に張り巡らされた監視カメラで全ての行動を録画され、メールやLINEの内容も記録され、政府にとって「都合の悪い人」は拉致・監禁・排除・洗脳される…みたいな、危険なイメージを想像すると思います。

しかしながら『ユートロニカのこちら側』は、恐怖や痛みを伴わない、斬新な形態の監視社会を描きます。人々は個人情報を喜んで提供し、プライバシーを捨て去ります。

この物語に隠されているのは、技術の発展によって、人工知能が人間の知能を完全に追い抜いた場合に起こりうる未来への警鐘です。

そう遠くない未来に一体何が起こるのか、可能性の1つを知っておく手段として、この小説を読んでおいて損はないのではと思います。

『ユートロニカのこちら側』あらすじ

目には生体コンタクトカメラ、体には立体集音マイク。

日常生活の全てが記録され、ほぼ全ての個人情報を提供する代わりに、楽園に住むことができるという世界。楽園の名は「アガスティア・リゾート」

そこでは働く必要もないし、充実した設備に囲まれた土地で好きなことをして暮らすことができます。

「サーヴァント」と呼ばれる情報管理AIが、収集した個々人のパーソナルデータに基づいて生活をサポートしてくれます。その日のスケジュール、摂るべき食事など、何も考えずともサーヴァントが最適なものを提案してくれます。従うも従わないも、本人の自由です。

また、そこでは殺人などの凶悪犯罪も起こりません。

全ての住民の過去の行動、しゃべった内容、信仰する宗教や趣味嗜好、人間関係、ストレス値などを人工知能が分析し、将来的に犯罪を起こす可能性のある人間を予測してリストアップします。

リストに上がった人間はカウンセリング施設に入れられるか、拘束されるなどして直ちに隔離されます。

自分が鼻くそをほじってるのを録画されてるということさえ気にしなければ、なんの悩みもなく安全で幸せに暮らしていける、まさに楽園のような都市です。

『ユートロニカのこちら側』では、そんな世界観の中で生きる様々な登場人物の視点から、物語が語られていきます。

人工知能が人間を凌駕する世界をリアリティたっぷりに描く

コンピューター技術がものすごいスピードで発達している現代の世の中ですが、いずれ人工知能が人間の知能を凌駕する時代がくると予言されており、「2045年問題」として取り沙汰されています。

そうなった場合に世界はどうなってしまうのか、様々な憶測や議論が飛び交っています。

楽園「アガスティア・リゾート」は、そんな未来に起こりうる1つの可能性として描かれた世界と言って良いと思います。

「アガスティア・リゾート」の中枢的役割を担う人工知能「サーヴァント」は、すでに人間の知能をはるかに超えた思考能力を持っています。

人工知能に身を委ね、自分の個人情報すべてを提供することで安全で幸福な生活ができる世界。この世界において人工知能は神様のような存在であり、その教えに従う人々は、まるで「サーヴァント教信者」です。

物語で描かれる登場人物たちは、その意見も立場も様々です。

  • 自ら喜んで「アガスティア・リゾート」に移住しようとする人
  • 「アガスティア・リゾート」に移住したものの、プライバシーの無い生活に馴染めない人
  • 「アガスティア・リゾート」の外側で、その社会形態に断固として反対する人

つまり、すでに人工知能という教祖様にずぶずぶに洗脳されている人から、葛藤する人、断固拒否する人までいろいろな人が描かれるわけです。

変革していく社会に対しての葛藤や賛美の声がどれもこれもリアルで、現実に起こりそうな精細さで描かれているのが興味深い内容になっています。

読んでいるとあやうく洗脳されかける

「アガスティア・リゾート」の社会構造がなかなか魅力的に描かれているので、読んでいるうちに「監視社会ってそこまで悪くないのかも?」と思いかけてしまう自分に気づきます。

たとえば犯罪者がいない街というのは、かなり魅力的です。女性でも深夜の夜道を気にせず歩けますし、盗難や痴漢にあうこともないわけですから。

しかし読みながらまたハッとする自分にも気づきます。
楽園の住民たちは、本人が気付かないだけで確実に洗脳されているのです。

ネットで買い物をしたときに表示される「この商品を買った人にはこれもオススメです」に薦められるがまま、余計な買い物をしてしまった経験はないでしょうか。

これって実は、自分の過去の購入履歴に基づいて人工知能が「これがあなたの求めているものですよね」と、ある意味で欲求を刷り込もうとしているんです。でも刷り込まれていることに気づかず、「ああそうだった。これが私の欲しいものだ」と信じ込み、自らの意思だと思い込んで買ってしまうんです。

「アガスティア・リゾート」の人工知能サーヴァントが行なっているのは、これをさらに強力にしたものです。

個人情報が守られている現実社会では、「商品Aを買った人に商品Bを買わせる」くらいのことしかできませんが、ほぼ全ての個人情報を提供している「アガスティア・リゾート」では、その「誘導」はゆるやかな「洗脳」となります。

サーヴァントが薦める、その日にやったら良いこと、食べると良いもの、買うべき商品。これらは全て「おすすめ」として提案され、それに従うも従わないも自由です。しかし従っておけば、より良い生活が送れる可能性が高い。住民たちは、なんの不満も感じずにサーヴァントの促すがままに行動し、「自分の意思で選択する」という機会を失い、思考停止していきます。

「それでも安全で幸せに暮らせるならいいじゃん」と思う人もおそらくいるでしょう。

  • 人工知能が「2+2=5」だと言うなら、それで良いんじゃない?と思考停止して平和な日常を享受するのか。
  • いやいや、「2+2=4」だとはっきり抵抗して、「いろいろ悩むし危険も多いけど人間的な生活」を選ぶのか。

議論してるうちはまだ良いのです。でも本当に「2+2=5」だと信じ込んでしまったら、もうそのことを疑問に思うことすらできなくなります。

「君はものごとを深く考えすぎだよ」
 恐ろしい言葉だった。「ものごとを深く考える」のが悪いことであると、「ものごとを深く考えず」に口にしている。寒気がした。

「第五章 ブリンカー」より

もはや深く考えることを止めてしまった住民たちは、何の疑問も持たずに人工知能の奴隷となり傀儡となり、人間らしさを失っていきます。そしてそのことに、本人が気づくことはないのです。

この小説の物語を警鐘ととるか、理想ととるか。ぜひ読んでみた上で考えてみてください。