私は猫が好きなので、猫に関連するものや、猫と名が付くものについつい反応してしまいます。
お店で偶然見かけたもの、たとえばスマホのカバーとか、ご飯や味噌汁用の茶碗とか、ちょっとした置物とか。
本屋さんで 「猫」という単語が入ったタイトルの本を見つけたら、吸い寄せられるように無意識に近づいていってしまうんですよね。
たとえその本が自分にちょっと馴染みの薄い、敬遠しがちな時代小説だったとしても、猫が題材ならちょっと読んでみようかなと思ってしまうのです。
猫好きが時代小説を読むきっかけは、それで充分。
そしてそんな人にぜひおすすめしたいのが、『大江戸猫三昧』という短編集。
江戸時代を背景とする、猫を題材にした短編小説が10篇入った「時代小説アンソロジー」です。
目次
猫が登場するだけで、時代小説の世界にグッと親しみが湧く!
時代小説のハードルは「馴染みの薄さ」
時代小説ってなんだか難しい言葉とかが多くて、敬遠してしまうという人は結構いるんじゃないでしょうか。かく言う私もそうでした。
その理由の一つに、「言葉に対する馴染みの薄さ」があります。
やはり時代が違うので、人の名前など聞き慣れない名前がよく出てきます。
特につらいのは役職の名前。例えばこんな名称があります。
御先手同心(おさきてどうしん)
火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)
詳しい人は当たり前のように知っているのかもしれないけど、知らない人にとってはどんな役職なのか漢字から予想しようにもなかなか無理があるので、いちいち調べないとわからないですよね。
「よくわからんー」というハードルが、読むのを諦めさせてしまう原因になってしまうのです。
猫の存在が世界をグッと身近にする
「大江戸猫三昧」の短編には、猫好きの登場人物たちが多数登場します。
彼らもいろいろな役職名で登場するけれど、どんなに難しい名前の役職についていても、猫の前ではみんな同じただの人間。
擦り寄ってくる猫を前にして顔をほころばせたり、鰹節やら魚やら、猫の好物をせっせと用意して与えたりする。自分の妻によく懐いている猫を見て嫉妬し、すねてしまう旦那もいる。どこにでもいる普通の人間たちなのです。
猫は人間の生活の身近にいる生き物なので、猫が出てくる物語は自然と「等身大の人間の自然な感情や行動」に焦点を当てた物語になります。
難しい単語の意味がわからなくても、描かれていることの本質は現代小説とあまり変わらない。猫の存在が時代小説へのハードルを下げてくれるのです。
猫は人間模様を描く上での最高の名脇役
猫は自由を愛する動物です。勝手気ままに生き、気に入った人には目一杯甘えるし、気に入らない人はとことん毛嫌いします。気まぐれなので猫が何を考えているのか本当のところは人間にはわかりません。物言わぬ猫たちは、ただ思い思いに生きているだけ。
物語で描かれるのは、そんな猫たちの周りで生まれる様々な人間模様です。
1匹の猫をきっかけにトントン拍子で出世してしまう人間もいれば、猫のせいで詐欺にあってしまう惨めな人間もいます。夫婦や親子の関係を引き裂くこともあれば、逆に絆を強めてくれることもある。
例えば「猫姫」という短編は、大奥で出世していく二人の姉妹を描いた物語ですが、二人は互いに姉妹であることを隠し、一切の関わりを持たないようにして暮らしています。
そんな二人を繋ぐのは1匹の猫で、物語の最後に生まれるなんともいえない切ない感情に心を打たれるストーリーとなっています。
猫はあくまで脇役として、人間ドラマを引き立てる。
ただしこの脇役は猫でなくてはいけません。勝手きままに生きる猫は、人間との距離感が絶妙だからです。
猫は名脇役なのです。
猫が題材の時代小説をより楽しむ方法
猫について描写している文章の表現を楽しむ
二月のあたたかい日に、私がぶらりと訪ねてゆくと、老人は南向きの濡縁に出て、自分の膝の上にうずくまっている小さい動物の柔らかそうな背をなでていた。
『猫騒動』より
もはやこの一文だけで猫好きは癒される。
濡れ縁(縁側)と猫は最高の組み合わせだし、「小さい動物の柔らかそうな背」という表現がもうたまらない。今すぐ猫を撫でたい!という気持ちにさせられます。
部屋に入ってきて、明るい声をひびかせる綾江の足元に、例の黒いやつがまとわりついている。
『黒兵衛行きなさい』より
猫好きからしてみればこれもまた癒しの一文です。かわいい黒猫が足にまとわりついている様子を想像して和んでしまう。
「例の黒いやつ」という表現も良いですね。
この文章、実は猫嫌いの旦那が語っている文章なのです。猫嫌いからすればただの黒い生き物でしかないわけで、そんな心情が良く伝わってきます。
ただし猫好きにとっては、愛情を込めて「あの黒いやつ」と呼んだりすることもあります。読む人によっては癒される表現でもあるのです。
二匹は意気投合したらしく、ひと固まりの毛鞠のようになってじゃれあっている
『猫のご落胤』より
ネット界隈では猫のことを「殺人毛玉」(可愛すぎて人間を悩殺する、毛玉のような生き物、みたいな意味)と呼んで愛でる言葉がありますが、その表現にちょっと近いです。
猫を毛玉呼ばわりするだけで、どうしてこんなに癒されるんだろう。丸っこくて柔らかそうな感じがダイレクトにイメージできるからかもしれません。
ついでに江戸の風情も楽しむ
江戸の時代小説なので、いかにも江戸っぽい粋な表現を楽しめるのも『大江戸猫三昧』の魅力です。
「猫のご落胤」では、商人を引退して隠居生活を送る五兵衛という人物が登場します。
厳しい商売の生き残り競争を戦い抜いた五兵衛は、のんびりとした隠居生活に次第に虚しさを覚えるようになっていきます。
こんなのびたうどんのような生活が、人生の勝者の証しなのか。
こんなに余生が辛いものであると知っていれば、隠居するのではなかったとおもっても後の祭りである。五兵衛はもはや押し出されたところてんのような存在であった。
人生や自分の現状を、のびたうどんやところてんに喩えるのがいかにも江戸っぽくて粋な感じがします。
それから、粋なシーンをもうひとつ。
「おしろい猫」にて、平吉という男が幼なじみの栄次郎に、ある悩みごとを相談する場面。
どうにか力を貸してもらいたい平吉の頼みを聞いた栄次郎。
栄次郎は、冷(ひや)の酒を茶碗にくんで一気にあおってから、うなだれている平吉の肩をたたいてやった。
「よし。ひきうけたよ、平ちゃん」
江戸の人情にはなぜかお酒がよく似合う。
くいっと飲み干す勢いの良さが、江戸っ子の気風の良さです。
(このとき栄次郎は実はとんでもないことを考えているのですが、それは読んでのお楽しみ。)
編者 澤田瞳子さんの解説から得られる、時代小説へのさらなる興味
数ある短編の中から珠玉の作品を選びぬき、この「大江戸猫三昧」を編集したのが、澤田瞳子さんという方です。
巻末に澤田さん自身による解説が載っているのですが、それがまた本編と同じくらい面白い。
作品解説に加えて、平安時代から始まる「猫文学史」についてを熱く語ってくれています。
驚くほどたくさんの作品紹介が綴られていて、膨大な量の本を読んできたんだろうなあと思える、非常に内容の濃い解説です。
この解説を読んだら、高校の授業で「枕草子」を読んだことを思い出す人もいるかもしれません。
私も解説を読んでハッと思い出したのですが、枕草子には「命婦(みょうぶ)のおとど」という猫が登場するのです。一条天皇が猫好きで、わざわざ乳母をつけてまで大事に飼っていたという話です。
古文の授業で読んだ他の作品はあまり覚えてないけど、枕草子のこのエピソードは何となく記憶に残っています。やっぱり猫が出てくる話は親しみやすかったということですね。
猫と時代小説は相性ぴったり
時代小説ってあまり読んだことないけど、たまには読んでみようかな」と思った猫好きさんにはぜひおすすめの短編集です。
江戸の風情を楽しみながら、のんびりと猫小説を味わってみてください。
その他、猫好きのバイブル本はこちら
「人間と猫」がメインのストーリーではなく「人間と人間」の関わりに焦点を当てたストーリーとして、猫は作品を輝かせてくれる。