『未来職安』感想|無職でも生きられる。新しい価値観が人を救う

未来職安

「汗水垂らして働いて、日々努力するのが当たり前」という価値観が(少しずつ薄れつつありますが)、まだまだ主流な世の中です。

数百年先の未来に生きる人にとっては、今の私たちの生活はとても滑稽で馬鹿げているように思えるのかもしれません。

例えば、「大人になったら社会に出て働くのが当たり前」という価値観すらも、なくなっているのかも…。

柞刈湯葉による4作目の小説『未来職安』(双葉社)は、人工知能やロボット技術の進歩によって、国民の99%が働かずに楽しく生きている社会を描いた作品です。

そこには、私たちが生きる現代よりも、ずっと自由で便利でゆるーい楽しげな世界が広がっています。

同時に、その時代にはその時代なりの問題があって、相変わらず人間たちはあれやこれやと頭を悩ませ続けています。

未来を生きる人の視点で世界を見つめ直すことで、今の世の中のバカバカしさや問題点、そしてある種の救いが見えてくる物語です。

あらすじと世界観

ほとんどの仕事はロボットが行い、国民は何もしなくても国から最低限の生活基本金が支払われる世界。

そんな世の中にも仕事を仲介する「職安」は存在していて、主人公はその職安の事務員として働いています。

人間に残された仕事といえば、

  • 海外の日本食レストランにただ立っているだけの仕事とか(「純日本人顔」の人がいるだけでサマになる)
  • 謝罪を代行する仕事とか(謝るのはさすがにロボットじゃなくて人じゃないと)
  • 火星開拓民と定期的におしゃべりする仕事とか(ずっと火星にいる人は、たまに誰かと喋らないと精神をおかしくする)

そんなしょうもない仕事を求めてやってくる、さまざまな顧客とのエピソードを通して、この時代なりの「人間たちの悩み」を描き出していきます。

現代社会のおかしなところを浮き彫りにする

本作の世界観は、私たちにとっての「当たり前」をことごとく覆していきます。

主人公は、自分たちが生まれる前の「人間が働くのが当たり前だった時代」のおかしなところを率直に指摘して、疑問点を語ります。

例えば、警察や警備員はすべてロボットが職務を握っているこの世界で、昔は人間が警察業務を行なっていた時代があったことを知り、

人間の警察が法律を破らずに捜査なんてできたんだろうか

と訝しんでいます。

また、有給休暇の存在も主人公にとっては不可思議なものでしかありません。

「あれは元々、好きな日を選んで年間20日くらい休んでいいよ、という制度だったんだよ。ところが、なぜか会社員が使おうとしない」
「みんな仕事が好きだったんですか?」

「みんな仕事が好きだったわけではない」のは現代の私たちならみんな知っていますね。

有給が取りにくい現代に対してこの時代はどうなっているかというと、年間数十日にわたって、会社への立ち入りを禁止される期間が設けられているとのこと。強制的に出社を禁止したんですね。いい時代だ。

健康なのに働かない人のことを「社会不適合者」などと呼ぶ風潮もありません。

人間は人工知能や機械には勝てないし、仕事はロボットに任せちゃった方が効率いいよねって認めてしまうことで、人々はより幸せになっているように見えます。

なんだか皮肉的だけど的を射た話でもあり、価値観なんてその時代ごとに変わるんだなーと思わせられます。

こんな感じで固定観念に縛られず、新しい視点で現代社会を見つめ直すことができるという点は、まさにSF小説を読む大きな醍醐味と言えるのではないでしょうか。

現実と地続きのリアルな世界観

明るい楽観的な未来SFかと思いきや、一定レベルのリアリティがあるのも本作の魅力です。

今と比べて圧倒的に便利で、人間にやさしい世の中になっていますが、人間は相変わらずいろいろなことで悩んでいます。

家族に問題を抱える主人公のリアルな悩み

主人公も、悩みを抱える人間の1人です。

両親の再婚によって血のつながりのない父親を持つ主人公は、「家庭」というものに煩わしさを感じています。

この世の中であえて働くことにしたのも、家族と一緒に暮らしたくないから。

そんな主人公は、「両親を嫌っていること」に対してある種の罪悪感を抱いています。

「思春期の少女は、父親を本能的に嫌うことで近親相姦を避ける本能がある」ということを学校のテレビ教材で習った主人公は、ひどく困ってしまうのです。

家族は仲良く、と教えられているわたし達にとって、家族を嫌うメカニズムが与えられるのは一種の救いになるのだろう。
ただ、わたしがひどく困ったのは、その番組が父親を嫌う理由を、遺伝子のメカニズムで説明していた事だった。
という事は、うちにいる血のつながりのない父親を、わたしは嫌ってはいけないのではないか?

著者も同じ悩みを抱えていたのだろうか?と思わせるほど、経験した本人にしかわからないようなリアルな悩みがここで描かれています。

「血が繋がっていないけど、いい大人達に恵まれて幸福になれました」みたいな、よくありがちな虫のいいストーリーも世の中には多数存在しますが、本作は違います。

主人公はどうしても両親を好きになれないし、家庭問題はまったくもって1つも解決しません。

そんな中で、主人公がちゃんと悩んで生き方を選び、「家族という枠組みにとらわれない、自分なりの幸せ」を模索するという「地に足のついた」物語であるということに満足感を覚えます。

科学技術の進歩と新しい価値観が人を救う

「新しい自分なりの生き方」の実現を支えるのは、科学技術の進歩です。多様な価値観が認められ、未来はより自由で便利になり、幸せの総数は増幅しているように見えます。

  • 腕時計に内蔵された健康モニター(自動で救急車を呼ぶ機能も完備)
  • 同性間のカップルで子供を作る遺伝子技術
    • LGBTや無性愛者が当たり前のように幸福を追求する世界
  • 自動介護ロボットによる「老後問題」の解決

どれも、いずれは現実でも実現しそうなものばかりです。

未来は変えていけるものであり、新しい価値観を作っていける世界であり、もっと自由になれる可能性が待っているんだよ、と伝えてくれる物語は、ある種の救いや希望につながります。

昔ながらの、「みんなが夢見ていた明るい未来を描くSF」っていう感じがして楽しいです。

楽しげでゆるーい未来を描いた明るいSF

将来に対する不安が常につきまとう世の中で、私たちはついつい未来を悲観してしまいがちですが、こんなゆるい未来を想像する自由は永遠に許されていてほしいものです。

同著者の短編集『人間たちの話』(早川書房)などもそうですが、ちょっと楽しげな未来社会を描いた作品がちらほら見られて面白く、私もすっかり柞刈湯葉ファンになりつつあります。

ポイントは100%の完璧な理想社会を目指さないっていうところ。人間なんて完璧じゃないんだから、ちょっとヌケがあるくらいがちょうどいいんだろうなーって思わされます。

ディストピア小説もおもしろいですが、こういった希望のある社会を空想してみる時間もいいものです。