『空腹ねずみと満腹ねずみ』あらすじ・感想|ヒトラーは帰ってこない

空腹ねずみと満腹ねずみ

『帰ってきたヒトラー』の著者ティムール・ヴェルメシュの第2作目、『空腹ねずみと満腹ねずみ』

  

映画化もされて話題沸騰だった前作は、

ヒトラーが現代にまた生まれちゃうかも!どうしよう!

がテーマでした。

2作目の今作を一言で言うなら、こんな感じだと思います。

ヒトラーのやり方は断固許さない!でも、じゃあ、どうしよう!

独裁者は、良くも悪くも問題をシンプルにします。
非人道的なことを躊躇なく決定して、素早い意思決定で問題を解決してしまうパワーを持っています。

しかし、私たちはヒトラーの再出現を許してはいけない。

そんな文脈をベースに、本作はドイツを悩ませ続けている「難民問題」に切り込みます。

かなりヘビーな問題を、皮肉たっぷりの軽妙な文章で描く、面白いけど全然笑えない痛烈な社会風刺小説です。

  

  

あらすじ

時代は今から数年先の近未来

ドイツへ大量に流入していた難民の問題は、一時の落ち着きを見せています。

北アフリカに難民収容キャンプが作られ、難民たちは根こそぎその場所に押し込められたからです。

そんな北アフリカで、満たされない生活を送っていた難民青年ライオネル

ドイツのテレビ番組の美人女性司会者ナデシュ・ハッケンブッシュが難民キャンプを訪れたとき、ライオネルはとあるビッグアイデアを思いつきます。

テレビ視聴者の注目を利用して、15万人の難民とテレビクルーを引き連れて、ぞろぞろ歩いてドイツを目指す

青年と美女の組み合わせは人々に受け入れられ、ガンジーの「塩の行進」さながらの一大ムーブメントは、爆発的な視聴率を叩き出します。

世界中が注目する中で、着々とドイツ国境に近づいていく難民たち。

EU諸国を巻き込みながら、事態はもはや誰にも止められないほど大きくなっていきます。

行進に参加する難民も雪だるま式に増加。

果たしてドイツは、押し寄せる数十万人の難民を受け入れるのか?

難民たちを待ち受けているのは地獄か?楽園か?

物語の最後に目にする光景は、現実に起こり得るかもしれない未来です。

感想

利己的な人間を皮肉たっぷりに描いた風刺小説

物語はドイツ政府、テレビ局、番組司会者、難民など、それぞれの立場から代わる代わる視点を変えて語られていきます。

それぞれがそれぞれの利益のために行動する様子を描き、彼らの利己的な偽善・欺瞞を暴き出していきます。

  • 視聴率さえとれれば他はどうでもいいテレビ局
  • 社会派の番組出演で人気をとって、莫大な名声を得たい美人司会者
  • 本当は「自分だけドイツに行ければそれでいいのに」と思っている難民青年

各々が本音を胸に秘めながら、世間の目線や建前に身をとらわれて、坂道を転がるように結末へ進んでいく登場人物たち。

自分が口にした建前に囚われ、がんじがらめになっていく人々の滑稽さには苦笑するしかありません。

しかしそのリアルさが、読んでいてなかなかに痛快でクセになるのです。

飾り立て、情報を盛りまくるメディア

物語中、難民たちの行進にずーっと密着・同行している女性雑誌記者がいるのですが、彼女が書く記事がまた面白い。

記事が題材に挙げるのはもちろん、この行進の中心人物であるナデシュ(ドイツテレビ番組の美女司会者)です。

基本的にこのナデシュという人は、司会者としての自分の名声を世に知らしめたくてウズウズしている、自意識とプライドの高い女性。

そのくせ、頭の中は空っぽで、容姿だけが取り柄のおバカタレントです。

雑誌記者はそんな彼女の欠点を知り尽くしていながらも、巧みな文章術で上手にカモフラージュして、人々に愛される「ナデシュ像」を作り上げるのです。

ナデシュの行動を華やかに飾り立て、事実をドラマチックに盛りまくり、まるで悲劇に立ち向かう聖人のように描き出す記事の文章は読んでいてニヤリとさせられます。

例えば書き出しはこんな感じ。

ナデシュ・ハッケンブッシュ:その最大の悪夢

惨めさ。貧しさ。暴力—暗黒大陸の真ん中で無私の仕事に励むドイツのスーパースターが、己の悲劇的な過去への対決を迫られている。

ウェットで涙を誘う感動物語に仕立て上げるその書きっぷりはまあ見事。

著者のティムール・ヴェルメシュ自身、記者として働いていた経歴があり、その手腕がしっかり発揮されています。

これらの記事は、事実を捻じ曲げて報道するメディアへの痛烈な皮肉でもあるわけですが…

ここまで見事な「読ませる」文章だと、もはや笑うしかありません。

  

ドイツはどうする?またヒトラーを許すのか?

国境に押し寄せる数十万人の難民に対して、ドイツの政府、市民はどう対応するのか?

これがこの物語の終着点になります。

前作『帰ってきたヒトラー』の映画版(2015年公開)でも、増加する難民に起因する社会問題が取り上げられていました。



そしてそれらの問題を解決してくれる人として、現代に蘇ったヒトラーに期待が集まる様子が映画で描かれました。

それを見た視聴者は危機感を覚えて震え上がったと思います。

もしも今作の「難民大行進」にヒトラーが対応していたら、高い確率で大量虐殺が起きていたでしょう。最悪の結末ですが、ヒトラーならそうやって「解決」していたでしょう。

しかし今作にアドルフ・ヒトラーは全く登場しません。話題にすら挙がりません。

「ヒトラーのやり方を二度と許さない」と心に誓ったであろうドイツの人々は、どのように対処するのか。

私たちはそこから何を学ばなくてはならないのか。

その結末はぜひ小説を読んで確かめてみてください。

難民問題の難しさを、リアリティをもって描いたストーリーとなっています。

面白い上に、考えさせられる小説

日本は難民の受け入れ率が低く、一般市民にとって難民問題はあまり大きな問題になっていません。「興味を持つ人が少ない」というのが現状です。

この小説を読んで興味を持った私は、難民問題について初めていろいろなことを調べ、知りました。

とても難しい問題だと思ったし、この問題について何か語れるほどの知見もなにも私にはまだありません。

ただ、何も知らなかった状態から脱することができたという点では確実な進歩です。

作品としても面白いし、知っておいて損はない国際知識が身につくきっかけになる、意義のある読書体験でした。

読んでよかったなと思えた小説です。